ninja

ラベル 学歴社会 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 学歴社会 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年5月22日木曜日

これで大丈夫か、日本の公安&検察

率直に検察と公安がダメなのは言うまでもないのだけど。

なんというか
今回の遠隔操作の話もそうなのだけど、陸山会事件(これ自体事件というのもどうか)にしても。

今回ちゃんと出てきてくれたとはいえ、犯人を釈放したって言うのは失態。
もっというと証拠を固められなかったというのも問題。
ネットがらみが弱いのは政治家も一緒だけど、検察や公安がネットやITがらみ弱いのは
致命的な気がするのだが。
これより悪質なネットワーク犯罪が出てきたらどうするつもりだったのか。

こういう話だろう、的な見方で捜査しているのはどうだっていいんだが
今回の場合、捜査の過程で犠牲(という言い方はあまりよろしくないかもしれないが)
が出ている。
人生に致命傷を負わされた人が出てしまっているわけで
それに対する救済がされないのは言わずもがな。

「こういうシナリオだろ」というのは
なんというか上目目線というか、
「お前らみたいのはどうせこういう風に考えてるんだろ」
という感じがしてならない。
アメリカにもテッドバンディーとかゲイリー・ハイドニクのような高知能の殺人犯もいる。
もっというと性衝動、それこそカニバリズムやネクロフィリアといったものが元になることもある。
日本ではペドフィリアやロリコンですら白目で見られる。
加えて、執念や妄執にしても人には想像できないものがある。
そういったもの、捜査陣においては想定外のものがいくらでも存在しうるのに
決め付けてしまうのはいかがなものか。
それこそインテリの驕りではなかろうか。
それが昨今の不祥事だったり、こういった無能ぶりに表れている気がする。

公安、検察、それこそ司法の意義ってなんだろう
そんなことを考えさせられる事件でもある。
検察や公安、司法、それこそ政治家においても言えるのだけど
謙虚であること、これが大事な気がしてしまうのだが。

2013年6月17日月曜日

体感できない学問

体感する数学を立ち読みして普通に買うかどうか迷ってしまう。

というのも
この本で書かれている考え方って
昔ツイッターで書いたのとほぼ一緒。
※ツイートしたつもりになってるだけかもしれないけどorz

要は
この学問が何の役に立つのかという実例を踏まえて
教えるってやり方。

今の子って
勉強が面白いって思ってやってる子って少ないんじゃなかろうか。

それって教育のやり方にも問題があるし
そういう教わり方をしてこなかったのもあるだろうし。

当然ながら
どうしてそういう教え方になったのか
その理由も知ってる。


単純に学問としては
数学が一番面白い上に実用的なのだけど
それがあまり理解されない。

経験上思うのだけど
それが面白いと感じさせるきっかけを与えるだけで
勉強はできるようになる。
我慢して勉強は身につかない。

それはゲームかもしれないし、その辺にある石ころかもしれないし
小説の一節かもしれない。

興味のない、我慢して、というものは長く続かないのだ。
数学や英語を今も使っている人はいるのだろうか。
受験で培ったものをフル活用している人はどれぐらいいるか。

理系だと微積分の面白さを大学に行って知ったという人も多い。
それはまさに何に使うのかがわかって
実際に使った時に面白いと感じる。


勉強は辛いものだとか
きついものというイメージがあるが
果たしてそうなのか。
ただ単純に方法論の問題。


体感する数学
体感する数学
著者:竹内薫
価格:1,260円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る

2013年5月23日木曜日

大学に行かずに専門家になれるか

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7300205.html
経済評論家の三橋貴明氏は異端ですか?

結構お世話になっている作家兼経済評論家の三橋氏の話題ではあるのだけど。

ただ彼の本を読んでいて思うのが
大学で学問を続けることへの疑問だったりする。

大学や大学院、専門的に経済や哲学、学問をやり続けていくと
○○学派みたいなものが出てきてしまう。

どっちつかずみたいでよろしくないかもしれないけど
派閥とか学派に属さない方が都合がいい部分ってある。

時代は変わる以上、
その派閥、学派の論理が合わなくなってくる。
そういうのに属すると
そこから展開する柔軟さを失うような印象を持ってる。
逆にそういうのに属さない人の方がいい気はしてる。

また大学で専門教育を受けていないというのはいい意味でコンプレックスになる。
それをいい方に生かせば、専攻者うよりも知識が豊富と言うことは十分あり得る。

もう一つ言うと
大学、大学院という機関が
もはや学術機関でないということを示してる。

この回答でもあるように
就活予備校となっていたり
学術機関、研究機関として存在に疑問を投げかける部分が出てきている。

そうであれば、普通に学校ではなく書物やネット経由で勉強している人の方が
よほど知識があるとも言える。

ネットでもグーグルでスカラー検索があったり
論文の検索も可能になっているし
必要な学術書もアマゾンで買える。

ただ独学の場合、読み違いや勘違いもある。
それをどうやってクリアするか。
ネット経由でも無料で講義が見られるところもあるし
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2104A_R20C13A5CR8000/

京大、講義を無料配信へ ネット教育機関に加盟 
↑こういった記事も出ている。

大学に行く必然性がないとは言わないけれど
本当に勉強する環境として
大学という環境が本当に適切かどうか
それが問われている気はする。

2013年5月12日日曜日

タイガーアンドバニーが描いた現代日本

タイガー&バニーというアニメーションがあるのだが、
全編見て良くできてると感心してしまった。

アメコミ風のヒーローが跋扈する街。
アメコミと違うのは
コスチュームに企業のロゴがあること、
それらヒーローはプロダクションに雇われたヒーローである、ということだ。

超能力で戦うというのはそのままアメコミなんだが
実際の活躍がテレビ放映され、
活躍によってポイントやギャランティーが変わるというもの。

ああ、ヒーローもサラリーマンになる時代になったのか。

当然活躍すればスポンサーの宣伝にもなる。
活躍することを半ば強いられているヒーローというのも皮肉だ。

もっとも現代風のコーポレートイズムだけではないのだが。

テレビ放映しているのはれっきとした犯罪の現場だ。
それを嬉々として放映するテレビマン、
子供達が見ている光景は気が狂っているようにも見えてしまう。
少なくとも正気の沙汰ではない。

社会学者の古市さんが著書の中で
現代の若者は震災すらネタとして楽しむ、というのに非常に酷似している。

2011年の震災以後デモが起こっているが、
それも一種のネタになっていた。
デモのようなイベントを
犯罪の様子に置き換えた感すらする。

しかしながら
働きマンで火災の様子を携帯で撮る群衆という話があったけれど
感覚的にはこれの先にある。
ケータイやカメラ、ディスプレイを介して距離をとって
世界を見ているようにしか見えない。
それこそ、自分のいる世界とは全く別な
バーチャルなものとして。

ヒーローになるはずだった男が犯罪でヒーローになれなかった、という話も

今の学歴社会に通じるものがある。
冤罪事件や、ほとんどの事件の黒幕は
テレビ局の社長とか。
これは小沢裁判を思い出すが。

小沢さんも冤罪だった。
そしてそれを誘導したのは検察でありテレビ局、マスコミだ。

それをネタとして祭り上げた。

アイロニーとして良くできていると感心しつつあると同時に
対策がないことに対して憤りすら感じる。

作品としてはものすごく面白かった反面
風刺としてものすごく刺さった。