ninja

2014年5月20日火曜日

軍事力放棄はもはや時代錯誤

「誤解」の日本史と学校では教えてくれない日本史の授業(共にPHP刊)が非常に興味深い。

解釈の問題もあるけれど、ここで言われていることの根本を理解できる人は政治家になったほうがいい気がする。
指摘されるとはっとすることが多い。

たとえば
羅生門から考える九条とか。

なぜ羅生門から九条やねん、と言われるかもしれないけど。
羅生門は平安京の正門。それが荒れているということはどういうことか。

簡単に言えば治安が不安定。

実際のことを言えば警察がない。

この当時蝦夷を滅ぼしてしまったため、桓武天皇が兵役(労役もだけど)をといてしまった

結果として軍隊が消えてしまった。

これは別なテーマともつながるのだけど、日本が敗者を遇する理由のひとつに怨霊信仰がある。
簡単に言えば怨霊を恐れていたため、たたられることを避けるために敗者であろうと虐げることを避けた。
この気質を知ってか聖徳太子は17条憲法に「和を持って尊しとせよ~」などと書いていたりする。
これ、仲良くしなさいと捉えている方が多いのだけど、厳密には争いごとをしないように話し合いで物事を解決しなさい、というお話。
(これも日本人の談合絶対主義、先の戦争や震災対応の原因の根本なんだが)
怨霊信仰の根本は、おそらく争い事を避ける日本人の気質からでしょうが。

ただし
天皇の言うことを聞けと書かれているのだけど、実のところ天皇の言葉も話し合いで否定されることもある。※暗殺された例すらある。
それが何につながったか。
太平洋戦争へ至る軍部(日本陸軍)の暴走。

閑話休題。
要は国の中で争いごとの原因が消えた。
そもそも日本人は争いごとが嫌いだから戦争なんかもしたくない。
そもそも血を見ることや穢れを避けたい
その結果軍隊の解散。

結果として、軍隊という抑止力が消えて治安が悪化する。
検非違使がいたけど、それがきちんと動いたかどうかは羅生門の話を考えればわかるはず。
こういった血なまぐさそうな部署は基本下級貴族向け。
しかも、都限定。地方はどうなったか。
それは言うまでもなく。
それゆえに武士が出てくるわけですが。

そういうの考えると憲法9条の記述ってものすごく日本人らしい。
武力を使わず、話し合いで解決しようとするってところが。

古事記にて天照が大国主命の領に侵略するのだが、大国主命への攻撃は侵略ではなく手紙による平和的交渉だったりするのである。
神話ですらこれだ。
今では憲法がその役割を担っている。

ただ現実として自衛隊を解散はできない。

今は警察がしっかりしているので
羅生門みたいなことにはならない。
犯罪抑止の意味合いは少ない。
ただし、普通に考えて今軍事力まで放棄しては
実際に打たれる可能性とそれをちらつかせた外交カードにされる。

武器を捨てて平和に、なんて話はありえない。
誰かが武器を持って攻められない状態にするしか均衡を保てない。
その結果が冷戦だったりするのだから。

なんというか、昨今の集団的自衛権反対って話は
いつの時代の話なんだか、と思ってしまうのだけど。
海が戦略的に使える時代はもうすでに終わっている。

自衛隊は憲法違反とか、そんなのはどうだっていい。
話し合いでなんでもできてしまう国民性である以上、戦争も起こるでしょう。
それであれば、はじめから軍隊を持っていて、常に監視する体制を作るとか
常に反対派、存在に常に疑問を持たせている今の状況を維持するほうがいい気がしてたりする。

必要悪、というよりも防衛や安全保障は外交と密接な関係にある。
それを無視してたり、反対してるとか、知識がないというのは論外なような気がするのだけど。

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