ninja

2013年6月6日木曜日

お互い「自分が正しい」をやめれば少し楽になる

少し前に書かれた記事に
『アメリカはリーダーシップを取りたがるが故に、単純な善悪を相手に課する』
という言葉があった(うろ覚えだが)。

悪の枢軸と北朝鮮とシリアを名指ししたのが典型例だし
アメリカ人のプレゼンのうまさも
自分が善である事を高らかに宣言するという意味合いからすると
納得できる気はする。

元々二元論になってしまう理由は
アメリカがキリスト教色が強いためと言われている。
この辺話しだすと長くなるため割愛。

ただ
最近ニュースで見る反韓デモ等見てて思うのだけど
日本人ってこんなだったっけ、というものを良く目にする。
政治ネタや芸能にしてもそうなんだけど。

その辺は印象操作の部分もあるんですけど。
『昔よりもかくあるべき』という風潮が強くなった。

そもそも
正しい、ということは絶対的ではなかったりする。
サンデル氏のこれからの「正義」の話をしよう読むと分かるとは思うのだけど。
絶対的な正義、誰もが正しいという正義は存在し得ない。


同じことが個人間や企業間でも起こっているわけだけど。

正しい、というのはあくまで企業や個人の利害の問題。
もっというと
世間一般と芸能界とか政治の世界の常識は異なる。

変な話、家庭の常識とお店の常識ですら違う。
業界や世界が変われば、常識やルールも違う。
もちろん悪習もあるだろうが。

その典型例がモンスター○○だったりする。
まだこれは本人の常識と世間の常識のずれから生じる。


ただこういうのって
「自分が正しい」「自分が正しい」のぶつかり合いになる。
それが片方が明らかに常識外れであったとしても。

戦争や内紛だってそう。
身近な例だと
日韓の関係とか。

ただ明らかな間違いや錯誤は別にしても
少し譲歩は考えるべきだろうとは思いますけどね。
特に個人間は。
国の場合はつけ込まれることもあるので別。

それに
「自分が正しい、相手が間違ってる」って
たまに見返してみると自分にも責任や原因の一端があるときも多い。
それを認めることはその後自分にもプラスになるはずなので。



これからの「正義」の話をしよう
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